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東京地方裁判所 昭和38年(ヨ)2126号 判決

申立人 鈴木富美子

被申立人 国

代理人 片山邦宏 外三名

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事  実(省略)

理由

一、申請人が昭和二六年四月二六日被申請人に駐留軍労務者として雇用され、軍の立川基地六一〇〇部隊(通称サブライ地区)リディストリビューション・アンド・マーケッティング・ディビジョンのクラーク・タイピストとして勤務中、昭和三八年三月一六日、被申請人から、基本労務契約第九章ICの保安基準に該当するとの理由により、本件解雇の意思表示を受けたことは当事者間に争がない。

二、申請人は、本件解雇は、憲法及び労働基準法に違反し、また、解雇権の濫用であるから、無効であると主張するので、以下逐次これを検討する。

1(憲法及び労働基準法違反について)

申請人本人尋問の結果によりその成立を認める疎甲第三号証の一、二及び同第六号証の二(同号証中、「鈴木文子」とあるのは、申請人本人尋問の結果によると、同人の氏名の誤記である。)、証人神田幸子の証言によりその成立を認める甲第四号証の一、弁論の全趣旨によりその成立を認める甲第四号証の二及び同第六号証の一、証人鈴木努及び同神田幸子の証言並びに申請人本人尋問の結果に、弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

申請人は昭和三三年一一月から昭和三六年四月頃まで吉田マツから同人所有の東京都杉並区下高井戸四丁目九〇六番地所在家屋の四畳半一室を借受け、独身で下宿していたことがあつた。ところで、これより先、軍の立川基地に勤務し、同基地のぼう大な軍備施設を直視していた申請人は、朝鮮戦争を契機として、中華人民共和国(以下、中国という。)と共産主義とに批判的な関心を持ち始めたことから、これを研究するため、前記下宿中、レオ・ヒューパーマン著「社会主義入門」、毛沢東選集刊行会編訳「毛沢東選集」及びマルクス、エンゲル共著「共産党宣言」を所持、読書し、中国人民中国編集委員会編月刊誌「人民中国」を定期購読し、昭和三五年一一月頃からは日本共産党機関紙「アカハタ」を定期購読した。また、申請人は昭和三二年から日中友好協会杉並支部に入会し、会費を納入して、同支部旬刊機関紙「日本と中国」(会費納入者に無料配布されるもの)の郵送を受け、同支部主催の中国映画鑑賞会に時折出席し、日中友好協会東京連合会から中国切手を購入したことがあつた。更に、昭和三五年初頃から、申請人の弟鈴木努(高校教員)外数名が既に作つていた中国研究会のグループに加わり、同会が解散した昭和三六年一一月頃まで、東京都杉並区清水町六四番地所在の申請人の父鈴木謙一郎方別棟で毎月約一回開かれた同会の会合に出席し、主として、国民文庫「中国史」(ソビエット百科辞典「中国史」の項の翻訳)をテキストとして、中国の現状とその歴史的過程を研究し、時には雑談的に沖繩問題を話合つた。なお、申請人は居室の壁に前記月刊誌「人民中国」の附録カレンダーを貼つていた。

ところが、昭和三六年一一月二七日軍のO・S・I係官二名が申請人を立川基地内の同係官室に呼出し、通訳を介して、まず、憲法第三八条の規定を朗読し、「共産主義に関することでお尋ねする。」と、前置きして、別紙記載の趣旨の問答を重ね、申請人の調査を行つた(同日軍のO・S・I係官が立川基地内で申請人について調査した事実があることは、当事者間に争がない。)。以上の事実が認められる。申請人は、軍のO・S・I係官の調査の際の質問に対しては、「毛沢東全集」一巻ないし七巻、「共産党宣言」、「アカハタ」の所持、読書又は定期購読をしたこと、日中友好協会杉並支部に入会したこと、中国研究会のグループに加わり、その会合に出席したことなど、事実の一部を否認しているが、以上認定の事実、特に、軍のO・S・I係官と申請人との問答の内容を通察し、更に、申請人本人尋問の結果を参酌するときは、軍のO・S・Iは、当時申請人が共産主義と現代中国事情に関心を寄せ、これらを研究し、また、日中友好協会に加入していたものと判断したことは、推定するに難くない。しかし、軍のO・S・Iが、申請人本人尋問の際の表現に従えば、申請人を共産主義に関する「体系化された知識」と「確信に支えられた思想」を有する共産主義の完全な「傾倒者」であるとまで判断したとは認められず、他に、そのように認めるべき疎明もない。また軍のO・S・Iが、日中友好協会を共産主義によつて支配され、その影響を受けている団体とみていたかどうかは、ともかくとして、同協会に加入すること自体により、その者を共産主義者又はその組織的同調者とみなしていたとまで認めるべき疎明はなく、従つて、軍のO・S・Iが、当時申請人が日中友好協会に加入していたことから、申請人を共産主義者又はその組織的同調者であると判断したものとは認められない。そして、成立に争のない乙第一、第二及び第七号証、証人平川国雄の証言によりその成立を認める乙第三ないし第六号証及び同証言によると、本件解雇が被申請人主張のような手続、すなわち、基本労務契約細目書I、F節 3(昭和三八年一月一日以降は 基本労務契約第九章、3)に定める保安解雇の手続を履践して行われたことは明らかであるが、申請人に対する本件解雇の理由となつた基本労務契約第九章、I、Cの保安基準に該当する特定の事実の存在については、被申請人からの疎明がないから、軍のO・S・Iが前記のように調査判断した事実、すなわち、申請人が共産主義と現代中国事情に関心を寄せ、これらを研究し、また日中友好協会に加入していた事実が申請人につき右保安基準該当の事実の存在を容疑せしめる端緒又はその背景的事情となつたであろうことは推認し得られないではない。しかし、前掲乙第二及び同第七号証によると、保安解雇は、アメリカ合衆国政府の要請により在日軍の労務に服するため被申請人から提供した間接雇傭の労務者が基本労務契約細目書I、F節、1(基本労務契約第九章、1)に定めるいずれかの保安基準に該当し、アメリカ合衆国政府の保安上危険であるとみなされるとき、これを軍の施設及び区域から排除するためになされるものであつて、そのためには、その者の思想、信条のいかんを問わず、その者がいかなる結社の構成員であるかに本来かかわりないものと解されること、また、本件解雇が、既に述べたように、保安解雇の手続を履践して行われたことなどを考慮するとき、申請人が更に特段の事情を疎明しない限り、本件解雇が申請人の共産主義及び現代中国事情に対する関心、研究並びに日中友好協会への加入を理由とするものと認定することは困難である。この点に関する前掲甲第四号証の一(神田幸子の陳述書)の記載、証人神田幸子及び同鈴木努の証言並びに申請本人尋問の結果は、同人らの憶測、見解、又はそれらの聞伝えに過ぎないから、採用の限りでない。他に、本件解雇が申請人主張の理由によるものであつて、思想、信条による差別待遇をしたものであり、結社の自由を侵したものであることを認めるに足りる疎明はない。してみると、本件解雇が思想、信条の自由を保障する憲法第一九条、結社の自由を保障する憲法第二一条及び労働条件について差別的取扱を禁止する労働基準法第三条に違反し、無効であるとする申請人の主張は理由がない。

2(解雇権の濫用について)

イ  前掲甲第三号証の一、二及び申請人本人尋問の結果によると、申請人が前記吉田マツ所有の実屋に下宿していた当時、同人の婿である国貞敏明がその家族と共に同家に居住しながら、これを管理していたことが認められ、そして、国貞敏明が当時駐留軍労務者(アドバイザー)として軍の立川基地に勤務していたことは当事者間に争がない。しかるところ、申請人は、軍のO・S・Iは、本件解雇の資料を得るため、国貞敏明に指示して、申請人の居室に無断で立入らせ、壁に貼つてあつた前記月刊誌「人民中国」の附録カレンダーを撮影してその写真を提出させ、押入れ又は抽斗の中に申請人が保管していた書籍及びノートの記載を調査、通報させたと主張するのである。

既に認定した事実及び申請人本人尋問の結果によると、軍のO・S・I係官が、申請人の調査をした際、申請人の陳述に先んじて、申請人が所持していた書籍名を挙げ、申請人が納入していた「アカハタ」の定期購読費、日中友好協会(杉並支部)の会費について質問したことが明らかであること、前記のように、国貞敏明が申請人と同じ家屋に居住し、同じ軍の立川基地に勤務していたことの外、前掲甲第六号証の一、証人神田幸子及び同鈴木努の証言並びに申請人本人尋問の結果によると、当時国貞敏明について申請人主張のような行動があつたかのような疑惑の念を懐かさせられるのであるが、甲第六号証の一(申請人の陳述書)の記載及び申請人尋問の結果はたぶんに申請人の憶測を含む記載又は供述と認められ、証人神田幸子及び同鈴木努の証言は同じ申請人の憶測を含む談話の聞伝えに過ぎない。さればとて、前記のような軍のO・S・Iの質問及び国貞敏明と申請人との居住、勤務関係のみで、直ちに国貞敏明の行動に関する申請人の主張事実を認定することは早計である。なお、前掲甲第六号証の二には、申請人の主張事実を裏附けするような記載があるが、信用することができない。要するに、国貞敏明の行動に関する申請人の主張事実の存在については、疑惑の域を出でず、疎明があつたとみることができないのである。のみならず、申請人が主張するような国貞敏明の行動が軍のO・S・Iの指示に基づくものであるというに至つては、全くその疎明がない。従つて申請人主張の事実の存在を前提として、本件解雇をクリーンハンドの原則又は労使間の信義則に反し、解雇権の濫用であるとする申請人の主張は理由がない。

ロ  申請人は、本件解雇は、軍のO・S・Iが、家屋管理人である国貞敏明の申請人に対する不法な居室明渡の企図を知り、同人の前記調査、通報等に対する報償の目的で、なされたものであると主張するのであるが、このような事実を認めるに足りる疎明がないから、右事実の存在を前提として、本件解雇を解雇権の濫用であるとする申請人の主張も理由がない。

三、以上によつて明らかなように、本件解雇の無効を前提とする本件仮処分の被保全権利について疎明なきことに帰着し、さればとて、この点に関する疎明に代えて、保証を立てさせることは、本件仮処分の性質上、相当でないから、本件仮処分申請は失当として却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田豊 園部秀信 松野嘉貞)

(別紙)

係官、(月刊誌「人民中国」の附録カレンダーの写真を提示して)「いかなるカレンダーであるか。あなたは持つているか、とすればどこから入手したのか。」

申請人、「人民中国という雑誌のサービスのカレンダーである。」

係官、「その雑誌を読んでいるか。どこで知り、いつ頃から買つたのか。毎月買うのか、それとも契約によるのか。」

申請人、「中国映画の会に行つた時に、雑誌の名前と発行所を知り、契約により買うようになつてから約一年になる。」

係官、「日中友好協会の会員ですが、その会合に出席したことがあるか。」

申請人、「否。」

係官、「社会主義入門、毛沢東全集一巻ないし七巻、中国史、追いつめられた抗夫(岩波新書、上野秀信著『追われ行く抗夫たち』)、共産党宣言、アカハタを読んだことがあるか、又は所持しているか。」

申請人、(社会主義入門、中国史、追いつめられた抗夫、アカハタについては)「ある。」、(毛沢東全集、共産党宣言については)「否。」

係官、「アカハタは定期購入であるか。」

申請人、「否。」

係官、「これらの本はすべて共産主義に関するものである。何故この種のものばかり読むのか、ということは共産主義に傾倒しているということか。」

申請人、「これらの本だけを読んでいるわけでなく、多くの種類の本を読んでいる。本を読むということは自分の今までの生活の中で相当多くの部分を占めている。単に、共産主義に関心があるというだけでなく、あらゆることを知りたいという読書欲、知識欲である。」

係官、「あなたは社会主義の国のものを読んだり聞いたりしてどう思うか、すばらしいと思うか。」

申請人、「書物、新聞に現われた人々、その国に行つてきた人々の意見や批判も多種多様であり、自分が見てきたわけでもないから、今そういう判断を下すことはできない。ソビエットが宇宙ロケットを打上げた時はすばらしいと思うし、核実験をすれば嫌だと思う。」

係官、「あなたは現在の政治の下で自分の生活に満足しているか、又は社会主義になればよいと思うか。」

申請人、「満足はしていない。なぜなら、私は決して生活をエンジョイできるだけの給料をもらつていないし、物価は倍増になつたが給料は倍額にならなかつた。」

係官、「それでは、あなたは社会主義の方をよいと思うか。」

申請人、「そうは思わない。とにかくここに早や十年も働いているのであるから、まあ当分ここにいるつもりである。たびたびベース・アップして生活を楽しむことができるようになれば、たいへんけつこうである。」

係官、「三月一二日二時から、沖繩問題で清水町別棟に出席したか。同月一八日六時から、中野公会堂キューバ映画会に出席したか。同月一七日六時から、新聞労連会議室の東京自由上映促進会幹事会に出席したか。アカハタニュース映画を見たか。」

申請人、「否。」

係官、「清水町で開かれる中国研究会の会合にはしばしば出席するか。」

申請人、「否。新年宴会に行つたことがある。私の知る限りでは、中国研究会とは中国歴史研究会で、学問的なものであると思う。」

係官、「沖繩問題のスポンサーは誰ですか。」

申請人、「知らない。」

係官、「日中友好協会東京都連合会、アカハタ、中研、ナイオーウン会小野原研究会の会費を納めているか。」

申請人、「納めていない。連合会には切手蒐集のため金を払つている。」

係官、「日本と中国という新聞をとつているか。金を払つているか。」

申請人、「あれはとつていないが来ることがある。金は払つていない。」

係官、「あなたの家族が、過去又は現在、共産党又はその影響を受けている諸団体に属したことがあるか、属しているか。共産主義国の人々又は共産主義者と交友又は文通しているか。」

申請人、「否。」

係官、「あなたは共産党又はその影響を受けている諸団体から加入をすすめられたことがあるか。米国空軍の軍事上の機密を洩すよう強要されたことがあるか。」

申請人、「否。」

係官、「社会党、平和を守る会、原水協、たすけ合い、民主青年団などの諸団体に加入し、又は寄附したことがあるか。」

申請人、「否。」

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